
グッド・バイ
太宰治

結末まで書いています(ネタバレを含みます)
昭和十三年の初秋、「私」は御坂峠の天下茶屋に住みこみ、毎日いやでも富士と向き合う。あまりにおあつらえ向きの富士を軽蔑しながら、井伏氏との登山、甲府での見合い、茶屋の娘さんや吉田の青年たちとの交流を重ねるうちに、富士の見え方が少しずつ変わっていく。山を下りる前日、「私」はカメラのレンズに富士だけを収めて別れを告げる。
絵の富士は鋭角だが、実際の富士は鈍角で低い。十国峠で雲の上に見えた富士には思わず笑い、東京のアパートの窓から見た小さな富士は、苦しい夜の記憶と結びついていた。昭和十三年の初秋、「私」はかばんひとつさげて旅に出る。
御坂峠の天下茶屋では、井伏鱒二氏が二階で仕事をしていた。「私」も茶屋に落ちつくが、真正面の富士は風呂屋のペンキ画のようで好きになれない。井伏氏とのぼった三ツ峠は霧で何も見えず、茶店の老婆が富士の写真を掲げて見せてくれる。
井伏氏に連れられて甲府の娘さんの家を訪ねた「私」は、娘さんの顔を見られない。長押にかかった富士山頂の写真を見上げて振り返ったとき、娘さんをちらと見て、このひとと結婚したいと心を決める。
浪漫派の友人と富士見西行のような僧を見て落胆し、吉田の郵便局につとめる新田たち青年に「先生」と呼ばれる。吉田の町で清姫の話をした夜、月光を受けて青く燃える富士に化かされたように歩き、財布を落として拾う。
茶屋の娘さんに起こされて、雪をかぶった富士を見る。「私」は月見草の種を茶屋の背戸に播く。郵便物を受け取ったバスの帰り道、隣の老婆が指さした黄金色の月見草が、富士と相対峙してけなげに立っていた。
十月のなかば、仕事は進まず、人が恋しい。夜ごと富士を見ながら、素朴で簡潔な表現とは何かに思い悩む。遊女の一団を前に何もできない「私」は、富士に彼女たちのことを頼む。
ふるさとから結婚の助力がないとわかり、「私」は甲府で娘さんと母堂に事情を告白する。母堂は、愛情と職業への熱意さえあれば結構だと答える。帰りに娘さんは、富士山にもう雪が降ったかとたずねる。
甲府から戻って仕事の手が止まる「私」を、茶屋の娘さんは「わるくなった」と叱る。峠で一休みした花嫁が富士に向かって大きな欠伸をし、娘さんは「あんなお嫁さんもらっちゃいけない」と言う。
十一月、寒さに耐えかねて山を下りることにした前日、赤い外套の娘さんふたりに写真をたのまれる。「私」はふたりをレンズから追い出し、富士山だけを写して別れを告げる。翌朝、甲府の安宿から見た富士は、山々のうしろから顔を出して酸漿に似ていた。
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富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい。
けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、
決して、秀抜の、すらと高い山ではない。
この読切は全40ページ。続きは漫画ビューアで、スマートフォンでもそのまま読めます。
続きを無料で読むSTORY GUIDE
結末に触れない紹介です
絵に描かれる富士は鋭くそびえているが、実際の富士は鈍角に裾をひろげた、思いのほか低い山だ。十国峠で雲の上に現れた富士には思わず笑い、東京のアパートの便所の窓から見た小さな富士は、ひとりで酒をのんで泣いた夜の記憶と結びついている。昭和十三年の初秋、思いをあらたにする覚悟で旅に出た「私」は、井伏鱒二氏が仕事をしている御坂峠の天下茶屋に落ちつく。峠から見る富士は、あまりにおあつらえ向きの「富士三景の一つ」で、まるで風呂屋のペンキ画だと「私」は軽蔑する。それでも毎日、いやでも富士と真正面から向き合わなければならない。霧の三ツ峠、甲府での見合い、浪漫派の友人と見た富士見西行、吉田の郵便局につとめる新田たち青年との語らい、月光に青く燃える富士、茶屋の十五の娘さんが雪を見せてくれた朝。仕事は遅々として進まず、結婚の話にも心配ごとを抱えながら、「私」の目に映る富士は少しずつ違う姿を見せていく。太宰治の転機となった秋を、全40ページで描く。
青空文庫の図書カードによれば、初出は雑誌「文体」1939(昭和14)年2、3月号。太宰治が1938(昭和13)年9月から11月にかけて山梨県の御坂峠・天下茶屋に滞在した体験がもとになっている。本漫画は昭和十三年秋の峠の茶屋、三ツ峠、甲府、吉田の町、峠のバスを、当時の着物や登山服、車とともに描いた。人物の顔立ちや茶屋の間取りは翻案上の表現である。
昭和十三年の初秋、東京での苦しい日々を離れた「私」は、富士と真正面から向き合う御坂峠の茶屋に住みこむ。俗だと思っていた富士と、峠で出会う人々との日々を描く太宰治の名作を漫画化。
結末には触れていません
東京での苦しい日々を離れた小説家の「私」が、昭和十三年の秋に御坂峠の天下茶屋に滞在し、毎日富士と向き合いながら仕事をする話です。俗っぽいと軽蔑していた富士が、見合い、青年たちとの交流、茶屋の娘さんとの日々のなかで、さまざまな姿を見せます。
原文「毎日、いやでも富士と真正面から、向き合つてゐなければならなくなつた。」漫画の5ページでこの場面を漫画で見る
峠から見る富士は、まんなかに富士、その下に河口湖、両側に山々という、あまりに注文どおりの景色だったからです。「私」はそれを風呂屋のペンキ画や芝居の書割のようだと感じ、恥ずかしくなったと書いています。
原文「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。」漫画の6ページでこの場面を漫画で見る
甲府での見合いの席で、井伏氏が「おや、富士。」とつぶやき、「私」は振り返って長押の富士山頂の写真を見上げました。からだを戻すときに娘さんをちらと見て、このひとと結婚したいと決めます。だから「あの富士は、ありがたかつた」のです。
原文「あの富士は、ありがたかつた。」漫画の10ページでこの場面を漫画で見る
太宰治が1938(昭和13)年の秋に山梨県の御坂峠・天下茶屋に滞在した体験をもとに書いた小説です。「私」の目に映る富士のさまざまな姿と、峠で出会う人々とのやりとりが、短い場面を重ねるようにつづられます。1939(昭和14)年に雑誌「文体」の2月号と3月号に発表されました。
おもな舞台は山梨県の御坂峠(海抜千三百米)の頂上にある天下茶屋で、峠からは河口湖の向こうに富士が真正面に見えます。ほかに三ツ峠、甲府、富士のふもとの吉田の町、河口村へのバスの車内などが出てきます。冒頭には十国峠や東京のアパートから見た富士も語られます。
バスの車内で老婆が指さした路傍の黄金色の月見草を見た「私」が、三七七八米の富士と立派に向き合って、けなげにすっくと立っていた月見草に心を打たれて記した言葉です。大きな富士に対して小さな花がゆるがずに立つ姿を、「私」は美しいと感じます。現在、天下茶屋の前にはこの一節を刻んだ文学碑が立っています。
太宰治(1909〜1948年)です。
初出は「文体」1939(昭和14)年2、3月号です。
著作権の保護期間が満了した作品で、青空文庫で原文を無料で読めます。このページの「青空文庫・原作情報」から図書カードへ移動できます。漫画は原作をもとにした翻案のため、台詞や構成が原文と異なる部分があります。
読切の40ページで、約12分が目安です(1ページ18秒で計算)。登録不要で無料で読めます。
山を下りる前日、赤い外套の娘さんふたりにシャッターを頼まれた「私」は、笑いをこらえきれず、ふたりの姿をレンズから追放して富士山だけをレンズいっぱいに収め、「富士山、さやうなら、お世話になりました」と心の中で別れを告げてシャッターを切りました。
原文「富士山、さやうなら、お世話になりました。」漫画の38ページでこの場面を漫画で見る
翌日山を下りた「私」は甲府の安宿に一泊し、朝、廊下の汚い欄干によりかかって富士を見ます。甲府の富士は山々のうしろから三分の一ほど顔を出していて、酸漿に似ていた、という一文で物語は終わります。
原文「酸漿に似てゐた。」漫画の39ページでこの場面を漫画で見る
御坂峠(天下茶屋)おおよその位置
御坂峠、海抜千三百米。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。
「私」が昭和十三年の秋に二階で仕事をした峠の茶屋です。天下茶屋は今も旧御坂トンネルの河口湖側に建ち、二階に太宰治文学記念室があります。地図は御坂峠一帯の概略の位置を示しています。
三ツ峠山おおよその位置
三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。
「私」が井伏氏とドテラ姿でのぼった山です。頂上は濃い霧で、茶店の老婆が富士の写真を掲げて見せてくれました。地図は山頂一帯の概略の位置を示しています。
原文・底本・校正情報を作品ごとに記録します。

AI が作成した案内キャラクターで、本人の発言ではありません
「私は太宰治。青森県の金木村の生まれです。明るい冗談から、どうにもならない苦しみまで、自分の声で語るように書いてきました。」
「メロスは激怒した。」——『走れメロス』原文より
「まずは『走れメロス』を。友を信じて走る話です。一気に読めますよ。」『走れメロス』へ
つながり:芥川龍之介(芥川賞のゆかり)坂口安吾(無頼派の仲間)小山清(師と弟子)
作家相関図を見る(読むほど線がつながります)